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本もTwitterも燃やしてしまう人々の歴史

急速に広まったSNS。


何か尖ったことを書けばすぐに炎上する現代。


なんなら炎上商法だってある。


それくらい、人々は簡単に情報を得ることができるようになり、


またそれに賛否を表明しやすくなりました。


これは、まるで現代の病のようにいう学者もいますが


古代も燃やしてたんです。




(写真 世界を変えた150の哲学の本 より)


上記の本によると、世界最古の焚書は紀元前221年。現在の中国です。


秦の始皇帝が自分の政治に批判的だった儒教を弾圧するために、各地から関連書物を集めて燃やしてしまいました。


12世紀インドではナーランダ大学の図書館が燃やされ、


15世紀イタリアでは異教的な書物や芸術品などを燃やされ、


16世紀メキシコではマヤ族の絵文書が燃やされ、


20世紀ドイツ・オーストリアではユダヤ人作家による反ファシズム・社会主義的な本を燃やされました。


こちらはリアルに本を焼き払うので、より時間も労力もかかり大変な作業です。


本を燃やす行為には、リーダーとなる人物の政治的思索と自分のイデオロギー浸透のためという大きな目的がありました。


SNSではそこまでの野望を持った人々で炎上しているわけでもなく、大量の人間がマッチに火をつけて投げつける行為にも見えなくはない。


面白いのが、言論を燃やす行為は「記憶操作」や「威嚇」「自己顕示」であるということ。


SNSは簡単に燃やせるし、消せます。


本は紙の状態や量にもよりますが、簡単に燃えないし、思想そのものは消せない。


燃やされずに残ったものを古典として私たちは扱っていますが


もしかしたら燃やされてしまったものに大切なエッセンスがたくさん残っているのかもしれません。


世の中の真理として本当に大切なことは、また誰かが発見してなんらかの形で残そうとする普遍性があると私は思っています。


だから「考える」という行為が大切で意味がある。


意味があって大切だから影響力があります。


口伝であったり、紙であったり、ネットであったり、


どの時代でもどんなツールでも、人が行う行為は繰り返されるんですね。
















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